2013年8月31日土曜日

八月の終わりに冷静になって考えた

 明らかにブログには中毒性があります。書くほうにも、読むようにも、と指摘しているのは、日垣隆氏です。(日垣隆『知的ストレッチ入門 すいすい読める書けるアイデアが出る』[大和書房]



 この『京都市立病院麻酔科ブログ』を始めたのが、2012年11月17日でした。それから、今日までの288日間に、書いたブログが277件。毎日書くようになったのは、11月26日からなので、実際には、279日間に277件の記事を書いたことになります。抜けたのは、家族旅行に出かけた二日間だけ。ウェブのしがらみを忘れるために、携帯電話とkindle以外の電子機器を持たずに出かけたための空白でした。
 毎日書いたとは言っても、厳密には、仕事の関係で、その日の内にアップできなかったことも二、三日ありました。そんな日は、よく見ると同じ日に二件のブログが書かれています。

 
 



 『京都市立病院麻酔科ブログ』の目的は、ふたつありました。
 ひとつは、将来の職業選択として麻酔科医を考えている医学生や初期研修医などの若い世代へのアピール。ウェブを利用して発信することは、日本全国はおろか、世界中に情報を発信することになると考えられます(もっとも日本語なので、日本語を理解できる一部の人々だけが対象ですが)。つまり、全国の潜在的な「京都市立病院職員予備軍」に向けての発信なのです。そして、もうひとつの目的は、手術室ないしは病院内での「和」(なごやかなコミュニケーション)の場として活用する、ということでした。
 最初の目的に関しては、最近になって、病院見学に来て下さる医学生や転職を考えておられるドクターなどが「ブログを見た」といって訪問して下さったことからも、その効果はわずかながらもあったと証明されました。
 また、「和」への貢献については、手術室外の院内職員も見ている、という声を聞きました。手術室という、閉鎖的な空間という職場の特殊性から、同じ病院内でも「中で何をやっているのか分からない」という側面があります。手術室外の病院職員に向けて、私たちの日ごろの仕事を発信することは、コミュニケーションのきっかけとしても有効となるかもしれない、と考えています。

 先の日垣氏は、そもそも署名主体なき文章には責任が伴わない、ということをショウペンハウエルの「匿名こそ文筆的悪事、特にジャーナリズムの悪事一切の賢固なとりで」という言葉を引いて述べています。
 この『京都市立病院麻酔科ブログ』も無署名で書いていますが、看板に「京都市立病院」とつけているので、個人の勝手な発言は慎んでいます(少なくともそう努力しています)。また、患者さんおよび職員のプライバシー保護の観点から、記事の中では、患者さん個人を特定できないように配慮するために、顔写真を出さないのは当然ですが、時には日時をわざとずらして掲載したりもしています。さらに、記事内容への抑止力として、ブログの内容は、病院の事務方責任者に、毎日チェックしていただいています。これまでも、二度ほど「不適切と思われる文言ないし映像」があったために、修正をするようにご指摘を受けています。(仕事とはいえ、毎日目を通していただいて、ありがとうございます)

 今では、京都市立病院のホームページにもこのブログをリンクとして載せていただけるようになりました。おかげさまで、毎日のページヴューは200件前後、総ページヴューも51,000件を超えました。目を通していただいている方々には感謝しております。ありがとうございます。

 誰にも読まれないブログなどは、サイモンとガーファンクルが'Sounds of Silece'で歌ったように、'People writing songs that voices never shared'(決して歌われることのない歌を書いている)ようで、虚しくなってしまいますから…。








 日垣氏は「そもそも、ブログを毎日欠かさず更新し続けられる人は、一部のプロか、決壊寸前の問題をたくさん抱えていたか、書くのが相当に速いか、それを仕事の1つにしているか、よほど暇なのか、私事なのに勤務時間中にやっているか、のどれかでしょう」と分析しています。

 さて、ぼくの場合はどの項目に当たるのか、ご想像にお任せします。ただ、家族との触れ合いの時間が割かれているのは確かなので、今後は家庭不和に陥らない程度に気をつけたいと反省しております。

 残暑お見舞いともども、今後ともよろしくお願い申し上げます。

2013年8月30日金曜日

あいまいな・私の・脳

 2階のコンビニの棚で、パッケージに描かれた絵にひかれて、チロルのいよかんチョコを買ってしまいました。

 パッケージに描かれていたのは、愛媛県今治のゆるキャラ、バリィさん。このバリィさんが、なぜかMw先生に見えてしまったのです。
ぜんぜん違うのに似ている、と思ったのはなぜかしら?オペ室に戻って、何人かにどう思うかを聞いてみると、みな「似てる似てる」と言ってくれました。

 なぜこんなに違う絵なのに、脳は「似ている」という判断をするのでしょうか?コンピュータで、二つの顔が同じかどうかを認識させたら、おそらくバリィさんとMw先生にはほとんど共通項はないと判断されそうです。
 でも、人間の脳は、けっこうあいまいなので、「そー言えば、雰囲気が似てるな」と思い込んでしまうと、そのように思い込んでしまうようです。

 池谷裕二が糸井重里と対談した『海馬 脳は疲れない』(朝日出版社)という本の中に興味深い模様が紹介されています。次の模様です。

 いったい何の絵か分かるでしょうか?

 初めて、この模様(絵)を目にした方は、ただの白と黒の入り混じった模様にしか見えないのではないでしょうか?でも、どこかでこの絵に出合っていて、これが何の絵であるかを聞いたことがある方がいたら、おそらくその方には、牛以外には見えないはずです。
 左の方に頭があって、黒い耳と黒い鼻をしていて、顔の右半分は黒く、左半分は白い子牛のような顔がこちらを向いているように見えてこないでしょうか?

 脳は、このようにあいまいなものでも、自分の都合のよいように何かを作り上げてしまうのだ、と池谷さんは述べています。



 いわゆる人面魚や、壁のシミを幽霊と思い込んでしまうといった認識は、脳が何だかんだと理屈をつけて、解釈しているから、ということになりそうです。
 視覚に限らず、世論や民意についても、新聞やテレビで流されている日本や世界の姿を、いったん「現実」だと思い込んでしまうと、他の見方ができなくなってしまうということは、しばしば起こっているようです。得てして、こうした世論や民意は、時の権力が操作をしています。斎藤貴男さんは『民意のつくられかた』(岩波書店)の中で、次のように述べています。

 東北大震災後の原発事故を経て、それまでの原発神話がウソだったことが判明したことを受けて、「今度こそ私たちは、権力への服従が”大人の態度”であり、望ましい姿勢だとされている生活様式からの脱却を目指さなければならない。原発を推進した側の暴走を批判するのは当然だが、彼らの思惑だけでは何ひとつできるはずがないもの、また真実であるからだ。
……原発に限らない。要するに、よほど賢くならないと、生きていけない時代なのである。」

 おっと、チロルチョコの話から、世論操作の話にまで膨らんでしまいました。
 ところで、袋の中の個別のチロルチョコの包装は、またいろいろで楽しませてくれました。


2013年8月29日木曜日

越俎之罪(えっそのつみ)

 手術を控えた患者さんが、心機能や肺機能に問題がある場合や神経学的な問題をかかえているときなどに、専門の内科医に対診依頼をすることがあります。

 こんなとき、われわれ麻酔科医が内科専門医に求めているのは、手術を控えた患者さんの全身状態の評価であって、麻酔が可能かどうかを決めてほしいのではありません。しかしながら、現実には、「全身麻酔は困難と存じます」とか「全麻は可能と存じます」と返事を返してこられる先生方をときおりお見受けいたします。

 いったい誰が、実際に麻酔をかけるのでしょうね?

 内科の先生方が研修医時代に麻酔科で研修をしたからといって、彼らにそれぞれの手術に応じた麻酔計画を立てて、術中の不測の事態にも対応して、臨機応変に危機を回避する手段を講ずるだけの力があるのでしょうか?


 昔に2,3ヶ月研修した麻酔科での経験をもとに、「全麻は大丈夫」だとか「全麻は困難と思われます」などと判断を下しているのだとしたら、そういう発言はあまりにも無責任ではないでしょうか?

 オリジナルの論文を探せなかったのですが、以前JAMAに、内科医からの術前評価についての麻酔科医の見解が載ったことがあります。そこでも、同様のことが書かれていたように記憶しています。(オリジナルを見つけたら、いずれ紹介します)








 古代の中国で、許由(きょゆう)という人物が「天下をお前に譲ってやろう」と言われたときに、次のように言って断りました。すなわち「供物の世話をするのは神主さんですが、供物の料理を作っている料理人が調理場での料理がうまくできないからといって、神主さん自身が、樽やまな板を飛びこえて、料理人の仕事に口出しすることはしないでしょう」と。


 つまり、自分の職分を超えた言動をとって、他人の権限をおかす行為はしてはいけませんよ、ということですね。
 こういう出過ぎたまねのことを越俎之罪(えっそのつみ)と呼んで、戒めの言葉として古くから伝えられています。







 さてさて、初めに紹介した内科医からの「全麻は困難と存じます」という発言は、越俎之罪にあたるでしょうか?

 百歩譲って、内科医から麻酔科医への返事の中で、「全麻は困難と存じます」とコメントすることは赦すとしても、このコメントを内科医から直接患者さんに告げることは、越俎之罪にはあたらないでしょうか?

2013年8月28日水曜日

秋の気配

 日中はまだまだ陽射しが強いようですが、頬をなでる風に秋の気配を感じるようになりました。
クスノキと相似形の雲

行く夏を惜しむサルスベリ

 京都市立病院の手術室は、早朝から脳外の臨時を受けて大わらわでした。麻酔科は、当直制を導入して以降、こうした早朝の臨時手術にも迅速に対応することができるようになりました。
早朝の京都市立病院南玄関は
まだ人影もまばらです。

 午後にも2件の臨時手術が入りました。
 こんなときに願うのは、ただただ事故なく無事に患者さんを病棟なりICUにお返しする、ということ。
 安全なくして、安心感や信頼感は生まれませんから。
 みなさま、おつかれさまでした。

 夕方、西の空に、幾筋もの飛行機雲の軌跡が風に流されていました。
南駐車場から西の空を望む


2013年8月27日火曜日

Think Simple

 ケン・シーガル氏は、ネクスト社とアップル社を通して、スティーブ・ジョブズと一緒に10年以上もいっしょに仕事をしてきたことが、いちばん幸運だったと言っています。

 彼は、クリエイティブ・ディレクターとして、ジョブズの下で働き、ジョブズが要求する難題に応えてきました。そして、ジョブズの死後に書いた本が『Think Simple アップルを生みだす熱狂的哲学』(NHK出版 2012年)でした。iPhoneやiPadのシンプルなデザインを生みだすまでの苦労から得た教訓が述べられています。

 物事を複雑にしようとする人々は、複雑なやり方の方がどこか利口に見えるのだと信じているか、信じこまされている。

 シンプルさはたんなる目標ではなく、スキルだということを理解してもらいたい。その力をうまく利用するためには、扱い方を学ばなければならない。それには練習が必要となる。そして、ここがむずかしいところだが、皮肉にも、シンプルさのスキルを身につけるのは容易(シンプル)ではないのだ。

 少人数の法則:プロジェクトの成果の質は、そこにかかわる人間の多さに反比例する。言いかえれば、参加者が多ければ多いほど、そこからいいものが生みだされるチャンスは減るということ。

 すぐれたアイデアにはある程度のリスクがつきものだ。欠点がひとつやふたつあるのは当然で、すぐれたアイデアとはそれを補ってあまりあるもののはずだ。

 何かができない理由はいつでも1000はあるが、クリエイティブな思考を使って回避できないものはそのうちの数個にすぎない。

 シンプルな考えが常にすぐれたアイデアとは限らない。肝心なのはクオリティだ。もしも、新鮮で説得力のあるアイデアがあって、それにシンプルさの原則を適用したならば、あなたはすばらしい高みにまで登ることができる。だが、悪いアイデアをどれだけシンプルにしても、悪いアイデアには変わりない。

 ざっと目についた箇所を抜き書きするだけでも、示唆に富んだ言葉であふれています。ジョブズの下で鍛えられた人物ならではの言葉でしょうね。
日経デザイン編『アップルのデザイン
ジョブズは”究極”をどう生みだしたのか』
(日経BP社)

 シンプルさの対極にあるのが、官僚主義でしょうか?実行する前の書類提出、決裁や会議等の手続きの煩雑さ、仕事を細分化して職員だけが増殖していく組織、ミスをおかさないことを至上目的として、決められた枠をはずれることをおそれる体質(究極は、何も行動を起こさないこと)等々、ジョブズから見ればあきれるような世界でしょうね。

 アインシュタインの言葉だとされているものに、次のような言葉があります。
    Everything should be made as simple as possible, but not simpler.
 (あらゆることはできる限りシンプルに仕上げなければならない。でも単純すぎない程度に。)

スニフィングポジションとは?

 今週から、2年目研修医のSm先生がローテートされます。しばらくは、2年目研修医のKb先生もおられるので、ここしばらくは、2年目が二人となって、麻酔科のスタッフは充実しそうです。
中央で術野を見下ろすSm先生

 3番手術室では、午後から手術支援ロボット、ダ・ヴィンチの本格稼働に向けてシミュレーションが行われました。今日は、麻酔科からもEt先生が参加されました。
 ロボットによる前立腺全摘手術で、麻酔上で問題となるのは、やはり体位でしょうか?約30度の頭低位となるので、これまでの経験では、固定とそれに伴う頭血腫や顔面浮腫などへの対応がけっこう大変だそうです。
ダ・ヴィンチのシミュレーション後も
打ち合わせを続けるダ・ヴィンチチーム

 さて、全身麻酔の導入時、喉頭展開をする前に、頭を高めの枕にのせて、いわゆる「スニフィング・ポジション(sniffing position)」にするとよいと言われています。日本麻酔科学会編の『麻酔科学用語集』では「嗅ぐ姿勢」と訳されています。
 「朝の空気を嗅ぐ」というロマンチックな表現もありますが、ぼくが気に入っているのは、'ESSENTIAL ANAESTHESIA for medical students'というイギリスで出版された学生向けテキストの解説と写真です。そこにはスニフィング・ポジションとは、"taking the first sip from a full pint of beer"つまり、「コップになみなみとそそがれたビールの最初の一口をすするときの姿勢」ということです。著者の一人が実演している写真がまた、ユーモラスです。
撮影後、ビールは飲んだのでしょうか?

今日のお土産

 週末に東京へ研修に行かれたTm師長さんから、東京カンパネラというお菓子をいただきました。
いつもありがとうございます。
三層のラングドシャ生地にクリームが挟まれたお菓子
東京のお菓子の定番を狙っているようですが、
ネーミングでは東京ばななのような意外性がありませんね

2013年8月25日日曜日

守破離とTTP三段活用

 しもやんランド代表の下川浩二さんは、TTP三段活用を勧めています。

 今、世間で議論されているTPP(環太平洋パートナーシップ)協定のことではありません。TTPすなわちTettei Tekini Pakuru(徹底的にパクる)です。パクるというのは、かつては不良がモノを盗んだりすることをさして言う言葉でしたが、最近では「物まね」とか「人のアイデアをそのまま自分のものとする」という意味に使われています。

 下川さんは、オリジナルなことをやろうとしたり考え出そうとするから、何もできずに立ち尽くしてしまうのだ。成功している人のやり方、あるいは自分がいいなと思った人のやり方は、真似して実行すればよいのだと、『人生は、マネしてトクして楽しもう。』(サンマーク出版)で述べています。


 三段活用なのは、TTPの後に、TKP、OKPと続いているからです。
 すなわち、TKP(Tyotto Kaete Pakuru)=ちょっと変えてパクるOKP(Omoikkiri Kaete Pakuru)=思いっきり変えてパクるというのが、マネをする技術の三段階で、三段活用と表現しています。

 昔から、武道や芸能の世界では、守破離という言葉がありました。
 すなわち、まずは師匠の言ったことしたことをそのままそっくり真似て型を身につける(守)、それから自分にあった型を見つけるために試行錯誤をくり返す(破)、そしてついには師匠を超えるオリジナリティを身につける(離)といったところでしょうか?

 下川さんが言うTTPの三段活用も、この守破離の考え方に沿っていると考えてよいかもしれません。

 麻酔科研修では、静脈路確保、喉頭展開から気管挿管、あるいはラリンジアルマスクの挿入、動脈ライン、中心静脈確保、クモ膜下穿刺、硬膜外穿刺等々、手技的な内容がけっこうあります。ですから、守破離またはTTPの三段活用が研修するときの姿勢として求められるのではないでしょうか?
 ぼく自身もかつては、上級医のやる姿を見て真似て、他の先生のやり方と折衷したりしている内に、今の手技が確立してきました。(もっともまだまだ完成はしていないところも多いのですが…)真似ているうちに、何となくしゃべり方まで教えてもらった先生の口調になってきたことがあって、苦笑いをしたこともありました。



 2500年も前に、弟子たちに色々なことを語って『論語』に人生のマニュアルを残した、かの孔子だって、自分はオリジナルなことを言っているのではない。すべて、古典から学んだことを言っているだけだ(子曰く、述べて作らず、信じて古[いにしえ]を好む{述而第篇})と言っているくらいです。

 ふだん、ぼくが研修医の先生に向かって語っていることも、ふり返ってみれば、自分が研修医時代に上級医から言われたことであったり、教科書を読んで得た知識であることに気づきます。孔子の弟子の曾子が言ったように、よく確かめることもせずに、受け売りで人に教えたりしていないかを毎日反省しなければならない(曾子曰く、吾れ日に三たび吾が身を省みる。…習わざるを伝うるか。{学而篇})な、と改めて思う今日この頃です。


2013年8月24日土曜日

夢の裏側

 子供のころ、ウルトラマンは少年たちのヒーローでした。

 バルタン星人が登場したウルトラマン(第16話)が放映された翌る週のこと。級友の山田くんが、こんな疑問を口にしました。
 「バルタン星人って、中に人が入ってるんやろ。そやのに、ウルトラマンの攻撃(ウルトラスラッシュ)で体が真っ二つにされたとき、中の人はどうなってんねんやろなぁ?」
 山田くんは、バルタン星人は実在の宇宙怪獣ではなく、中に人が入った着ぐるみであることは見抜いていたのですが、真っ二つにされるときは、あらかじめ二つに割れた人形を使って、ピアノ線か何かを使った「特撮」で真っ二つにされたように撮影されたのだということを見破れなかったのでした。
山田くんが不思議がった問題の場面
ウルトラスラッシュ(右図)でバルタン星人が真っ二つに(左図)
中に入っている人は大丈夫なのか!?

 現代のコンピューターグラフィックを用いた視覚効果に比べると、当時の「特撮」は子どもだましのように見えるかもしれません。でも、当時の少年たちは毎回のウルトラマンについて、熱く語り合っていたものでした。

2011年には、『ウルトラQ』の全作品が、
デジタル技術で総天然色版にされて再発売されました


 テレビ番組にウルトラマンを登場させたのは、『ゴジラ』や『モスラ』で特撮映画を確立した、円谷英二監督でした。円谷監督のテレビ第一弾は、『ウルトラQ』(1966年)でした。当時はモノクロ映像でした。
 円谷英二監督は、『ウルトラQ』から『ウルトラマン』にかけて関わりをもっていましたが、作品を仕上げる姿勢は厳しく、予算を度外視して、自分が納得いくまで撮り直しをしていたそうです。












 この初代ウルトラマンに入っていた俳優は、古谷敏でした。古谷さんは、けっこう二枚目の俳優ですが、ウルトラマンでは、素顔を見せることなく、ヒーローとして、子どもたちに夢を与え続けてくれました。
古谷敏さんは、『ウルトラQ』(第19話)の
ケムール人の演技を買われて、ウルトラマンの俳優に
抜擢されたそうです


 その「ウルトラマン」が本音を語ったのが『ウルトラマンになった男』(小学館)でした。素顔を出せない俳優の屈折した心や着ぐるみ俳優への現場の配慮のなさなど、本音が語られています。
 少年たちに夢を与えてくれたヒーローは着ぐるみの中で汗を流し、内張りのウレタンを汗でぐっしょりに濡らしていたのでした。













中島さんは、ウルトラマンシリーズでは
ネロンガに扮して、古谷さんと闘いました


 円谷英二監督の出世作となった『ゴジラ』の着ぐるみに最初に入ったのは、中島春雄でした。中島さんは、過去に誰も演技したことがない巨大怪獣の演技を工夫するために、上野動物園に通って、アジアゾウの足の動きを観察し、クマに何度もコッペパンを投げて、その上半身の動きを研究していたそうです。その他にも、ハゲタカの首の動き方、カンガルーの前足の使い方、ゴリラの歩き方などを閉園まで見ていたそうです。(『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』[洋泉社]
 夢の裏側には、こんな苦労もあったのですね。





 

夢の裏側はドロドロとしていた


 『ゴジラ』や『ウルトラマン』を生み出したのは、間違いなく円谷一族なのですが、円谷英二監督が1970年に亡くなって以降、円谷プロダクションは迷走し始めます。そして、ついには、円谷プロダクションから円谷一族は排斥されてしまいました。その経緯を赤裸々に記したのが、円谷英明『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』[講談社現代新書]です。

 円谷英二監督自身が芸術家肌で、妥協を許さない性格であったことから、制作費はいつも超過し、赤字を累積していました。著作権やキャラクターの商品化に伴う権利の管理もずさんでした。円谷プロダクションは、あたかも「経営を知らない職人集団」といった感がありました。






 かつては、若かりし頃のスティーブン・スピルバーグが、円谷プロの撮影現場を訪れたこともあったそうです。スターウォーズを制作したジョージ・ルーカスが創ったILM(インダストリアル・ライト&マジック)は、円谷プロダクションを模していたそうです。

 ウルトラマンのスーツに身を包んだ古谷敏さんに対して、円谷英二監督は優しく声をかけたそうです。
 「ウルトラマン、どうだ、苦しいか、息はちゃんとできているかい、暑いかい?外、見えるようになったかな?」
 そして、現場の喧噪の中で、監督はさらに続けました。
 「大変だけどね……夢だよ、夢を、こ……」
 監督の声が小さかったのと周りが騒がしいことと、仮面をつけていると外の音が聞きとりにくい、そんな状況だったので、後は聞きとれなかったそうです。(『ウルトラマンになった男』より)

 その円谷英二監督が世界に与えようとした「夢」は、テレビ局や玩具会社、それに円谷一族自身の私利私欲と利権の狭間で色あせてしまったようです。
初代バルタン星人
故・成田亨氏のデザイン


 

2013年8月23日金曜日

中国式用手換気法とは…

今朝は、今日も暑くなるぞっ、という気合いの入った日の出でしたが、夕方には豪雨になりました。
日の出は、今日も一日暑い日を予感させました

 五条通の市立病院前のバス停でバスを待っていると、西の空に遠雷が見えました。時おり稲妻が雲の間から見えましたが、音は聞こえてきません。雲の向こうで光った稲妻が雲を一瞬明るく照らし出したりしていて、幻想的でした。と、他人事のように遠雷を眺めていました。
一瞬の閃光

雲を明るくする遠雷

 ところが、バスに乗って西へ進むにつれて、稲光が明るくなって、雷鳴が聞こえ始めました。さらに、烈しい雨も降り出しました。

 英語では、「土砂降りの雨が降る」ことを"It rains cats and dogs."と表現するそうです。実際には、こんな烈しい雨の中、うろついている猫も犬も見かけませんでした。

 今日は、1年目研修医のKi先生の導入のときに、麻酔器のバッグで換気をするリズムを「シートウ、プッ」とやるとよいと言うと首をかしげられてしまいました。
 ジャンケンのグーチョキパーを中国語で言うと、石头 剪子 布(シートウ チエンツ プ)となります。麻酔器のバッグをもみ込むとき、シートウと、後になるほどグッと力を入れると、定常流となりやすくなります。バッグを離すときは、一気にプッと手を開きます。呼気は肺と胸郭の弾性で勝手に吐き出されるのです。ただし、このとき、手をバッグから完全に離してしまうと呼気の戻り具合を感じることができないので、手はバッグに軽く触れているくらいがよいのです。
従量式換気では、定常流(下図)を作るために
漸増型の圧(上図)をかけることが必要です。
(シートウのトウに当たるのがプラトーの部分でしょうか?)


 中国語のグーチョキパーは、現在専攻医1年目のSh先生が、麻酔科をローテーションしているときに教えてもらいました。

2013年8月22日木曜日

麻酔深度の見える化

 「見える化」という言葉を普及させたのは、おそらく早稲田大学大学院教授の遠藤功氏でしょう。

 遠藤功氏は、2005年に『見える化 強い企業をつくる「見える」仕組み』(東洋経済新聞社)という本を書きました。現場を重視する経営を提唱する著者は、企業活動のさまざまなものを「見える」ようにすることで、「人」を育み、「風土」を育み、「団結」を育むのだと強調しています。
 つまり、今解決すべき問題は何なのか、ということを目で見えるようにし、現場でその問題を共有して解決に導く。そうした現場においては、問題を隠して、あたかも問題がなかったかのような顔をする者がいなくなる風土が培われ、互いに現場の問題を明らかにするために組織がガラス張りとなり、組織の壁がなくなって団結力が生まれるのだと遠藤氏は分析しています。






 ところで、今日、京都市立病院麻酔科にデモで搬入された、スマートパイロットビューというモニターは、私たちがふだん使用している麻酔薬の体内での薬物動態を見える化したものと言えそうです。
スマートパイロットビューの画面表示
麻酔器Apolloからの情報と、二台のシリンジポンプからの情報を
取得して、年齢・性別・身長・体重に応じて薬物動態を図示してくれます
単一の薬剤が投与されたときの体内での血中濃度や効果部位濃度のシミュレーターは、これまでにもいくつかありました。しかし、鎮静薬と鎮痛薬の双方が投与されたときの相乗的な「麻酔深度」をシミュレーションするモニターは、このスマートパイロットビューが初めてでしょう。

 鎮静薬を縦軸に、鎮痛薬を横軸にとって、両者を一定の濃度で使用した際の麻酔の適切な深度というのは、双曲線カーブに似た曲線を描きます。この双曲線様カーブの左下の領域は「浅麻酔」の状態にあります。また、カーブの右上の領域は「深麻酔」の状態にあります。「適切な麻酔深度」はグレイの帯で囲まれた部分を示しています。
USBに落としたスマートパイロットビューの画面
右上のグレイの階調が、いわばBISモニターのような
鎮静の程度を表しています

 スマートパイロットビューでは、鎮静薬(プロポフォールやセボフルラン)と鎮痛薬(レミフェンタニル)の投与量で、そのときの「麻酔深度」がオレンジのドットで示されます。薬液の投与量を変えると、最終的な予測地点を画面上で示してくれるので、ナビゲーターのような働きをしてくれそうです。

今日のお土産

 北海道へ出張されていたAi部長から、北海道土産に札幌農學校というミルククッキーとロイズのポテトチップチョコレートをいただきました。
ありがとうございました。
箱が書籍型になった新バージョンです



ロイズは暑い夏でもチョコレートを売るのだった


2013年8月21日水曜日

The Times They Are a-Changin'

 今日は、香川大学医学部から5年生のAhさんが病院見学で、麻酔科を訪問してくださいました。

 専攻医や研修医の先生方とともに、終日手術室の中で過ごされました。
 夕方は、例によってお客さんを囲んでお茶の時間となりました。今日は、専攻医のAk先生が、菓子職人で色とりどりのケーキを買ってきてくださいました。

 Ahさんに、どうして京都市立病院を研修先に考えているのかを聞くと、「(誰に勧められたからでもなく)ホームページを見て、興味をもったから」との答えが返ってきました。同席していた研修医1年目Km先生は、「(他の病院と比べて)雰囲気がよかったから」とのことでした。

 かつては、大学の医局に入局して、そこを足場にいわゆる「関連病院」に一次出張し、大学に戻って、大学院生となったり修練医を続けて、二次出張へ…というようなパターンが多かったのに、AhさんやKm先生の話を聞いていると、今の学生諸君は、よりよい研修病院を選び始めているのかもしれないと思われました。







 帰り道、烈しい雷雨に見舞われましたが、夜には澄んだ夜空の雲間から、綺麗な満月が見えました。


 この月を見ていると、ボブ・ディランのThe Times They Are a-Changin'(時代は変わる)という歌がふと思い浮かんできました。









 さあさあ みなさん お集まり
 どこを歩き回ろうと 確かなのは
 水が流れ込んで かさが増しているってこと
 気づかなかったら 骨までずぶぬれになるぜ
 泳ぎ始めた方がいいよ さもなきゃ石のように沈むだけ
  時代は 変わるもの なんだから

 声に耳をすまして下さいな 議員の先生方
 ドアの前でつっ立って
 ホールを塞ぐのはやめなよ
 邪魔する奴がケガをするのさ
 外では闘いが激しさを増している
 やがてあなた方の窓をふるわせ
 あなた方の壁をガタガタ揺らすでしょうね
  時代は 変わるもの なんだから

 全国の父さん母さん
 自分が理解できないからって 非難するのはやめてよ
 あなた方の息子や娘たちは
 もうあなた方の支配のかなたにいるんだよ
 あなた方のやり方は どんどん古くさくなっているのさ
 手を貸してくれないのなら おれたちの新しい道からどいとくれよ
  時代は 変わるもの なんだから


 「大学医局」とか「大学の関連病院」という言葉に拘泥している一部の大学の先生方に、そのまま捧げたいような歌詞ですね。
 
今日の逸品

菓子職人のケーキは見栄えもいいし、味も良い。大きさもまたちょうどよい。





2013年8月20日火曜日

サマになる ママになる 

 研修医1年目のKm先生は、麻酔科研修に来る前は、ずっと内科系の科をローテートされていました。初めてのオペ室で、戸惑いながら麻酔科研修を始めて3週目に入りました。
 久しぶりに導入の様子を拝見すると、マスクとバッグの持ち方が、サマになってきていました。
マスクを持っている側の肘がはっていませんね。
背筋もすっと伸びてかっこよくなりました。

 はい、では1週間前の様子を見てみましょう。
初めて持ったバッグとマスク
左の肘も横に張りだしていますね。
この姿勢では、長時間バッグをもむと疲れてしまいます。

 Mw先生は、It先生とほぼ同じ背丈ですが、最近、体重ではIt先生にぐんと差をつけてしまいました。いよいよ25週目に入ったMw先生が、目下泌尿器科を研修中のIt先生と並んだところを比較検討いたしました。

いつかは私もママになるモン!


  はい、では20週間前の様子を見てみましょう。
こんな狭いスリットに
全身が収まっていました。