2013年5月26日日曜日

人にして仁ならずんば楽を如何せん

 今日は、京都市民管弦楽団の第87回定期演奏会を、北山の京都コンサートホールまで聴きに出かけました。

 京都市立病院の血液内科部長のI先生は、この市民管弦楽団のコンサートマスターをされていています。
 今日の演目は、ワーグナーの舞台神聖祭典劇「パルジファル」から前奏曲、シベリウスの交響詩「エン・サガ」そして休憩をはさんでチャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調でした。いずれも初めて聴く曲ばかりでした。

 I先生は、日常の忙しい診療の合間にバイオリンの練習をされています。この京都市民管弦楽団の定演は、年に二回開かれます。この定演の他にもI先生は、医師だけで構成するオーケストラも主催しておられます。また、院内の有志を募り、去年は院内コンサートを開かれました。

 ここまで来ると、趣味の領域を超えているようですね。しかし、I先生の診療態度は丁寧でしっかりしていて、同僚の医師や看護師ばかりでなく、患者さんからも信頼されています。

京都コンサートホール
孔子は、音楽好きであったと言われており、自らも琴を弾いていたようです。『論語』の中にも音楽に関する言葉がいくつか残されています。

 「子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如何(いかん)せん。人にして仁ならずんば、楽を如何せん。」[八佾篇](人として人間らしさの欠けたるものが、礼を習って何になるだろう。人として人間らしさの欠けたものが、楽を歌って何になるだろう):貝塚茂樹訳

 ここでの「仁」は、人間らしい感情のこと。他人に対する親愛の情をもたないで、音楽をやってもなんにもならないよ、と孔子は弟子たちにさとしていたようです。

 「子曰く、詩に興(おこ)り、礼に立ち、楽に成る」[泰伯篇](先生が言われた。詩を読むことによって、人はまず興奮をおぼえ、礼を習うことによって、人は社会的な立場を確立し、音楽をきくことによって、人は人間の教養を完成させる):同上

 医学は、現代では科学の一部のように考えられる面も多いようですが、英語では、医術はscienceやtechnologyなどではなく、artと称されています。おそらく、画像診断や検査データをもとにした理性だけで患者を診るのでは不十分で、医術には芸術のように患者の心を動かす感性も必要とされるからでしょうか。
コンサートホールの吹き抜けの床は、
エッシャーのだまし絵のような模様になっています

 音楽は、元々は楽譜に書かれたものを演奏したり歌ったりしていますが、それを聴いた人の心を動かすものです。その意味で音楽をたしなむには感性が求められます。
 人を扱う医師にとって、音楽をたしなむということは、感性を豊かにする助けとなっているのかもしれないな、とI先生の姿勢を見ていて思います。